インドネシアのイシイ(石井正治)のwikiプロフィールや経歴が壮絶!

9/10(月)の世界ナゼそこに?日本人 2時間SPに、
インドネシアでとある日本食を広め、人々の命に関わる問題を解決した
イシイさんという方が紹介されます。

この方は既に亡くなられている人ですが、
没後時間が経った今でも現地インドネシアでは
未だに名前が知られているイシイさん。

一体どんな人で、どんな日本食を広めたのでしょうか?
詳しい情報を調べてみました!

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世界なぜそこに日本人?イシイさんのwikiプロフィール


出典:http://ailes-net.co.jp/ishii.htm

名前:石井 正治(いしい まさはる)

生年月日:1916年

没年:2002年

享年:86歳

出身:北海道

職業:軍人、会社役員

イシイ(石井正治)さんの衝撃の経歴とは?

イシイ(石井正治)さんの経歴についてですが、
イシイ(石井正治)さんが生まれた時代は
戦争真っただ中の時代でした。

当時、男性は戦争に赴くのが当たり前の時代で、
イシイ(石井正治)さんも例外ではありませんでした。

釧路中学(現在の北海道釧路湖陵高等学校)を卒業した
イシイ(石井正治)さんは、近衛兵に入隊し
中国から東南アジアの国々(ベトナム、タイ、シンガポール、マレーシア)へ
進軍し、最後にはインドネシアにたどり着きました。

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第二次世界大戦に日本が敗れた後、
イシイ(石井正治)さんはインドネシアに任務で残留するも
残留諜報部員の疑いを掛けられ
命が危うくなってしまいます。

しかしそこで、中国系の女性であり、後にイシイ(石井正治)さんの
妻となる女性、クスデマリさんに命を救われることに。

1年間監禁されるも、無事解放され
その後は現地で雑貨店を経営し始めました。

当時、イシイ(石井正治)さんと同じ様に
他国に残留せざるを得ず、そのまま命を落とした
日本人は他にも数多くいたようですが、

イシイ(石井正治)さんの場合は
本当に運が良かったということですね。

イシイ(石井正治)さんがインドネシアで広めた日本食とは?

イシイ(石井正治)さんがインドネシアで広めた日本食は、
こんにゃく芋でした。

当時、インドネシアではこんにゃくを食べる習慣がなく
こんにゃく芋も全て捨てられていたのだとか。

加えて、当時戦争に敗れた日本では
こんにゃくの需要が高まり、価格が急上昇。

そこで、インドネシア産のこんにゃくを日本に輸出し
インドネシアでの雇用を生み出すことで
日本とインドネシアの架け橋になろうとしたのだそうです。

その後は、こんにゃく芋を中心に、日用品であるサンダルや
海藻など、合計6つもの会社を経営し
6000人以上ものインドネシア人の雇用を生み出しました。

当時、イシイ(石井正治)さんの努力により
どれだけのインドネシア人が命を救われ、
インドネシアの経済発展に貢献したかを考えると、

インドネシアへのイシイ(石井正治)さんの貢献度は
計り知れないものがありますね!

世界なぜそこに日本人?イシイ(石井正治)さんの情報まとめ

9/10(月)の世界ナゼそこに?日本人 2時間SPで紹介された
イシイ(石井正治)さんについて、
wikiプロフィールや経歴、イシイ(石井正治)さんが
インドネシアで広めた日本食などの情報を調べてみました!

戦後の日本とインドネシアの架け橋となり、
広い意味では両国の国交復刻にも貢献したイシイ(石井正治)さん。

当時は今回番組で紹介されたイシイ(石井正治)さん以外にも、
日本以外で活躍していた日本人は
大勢いたのではないでしょうか。

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